
![]() 2歳の頃、たばこの葉をむしるお手伝い 隣にいるのは、母ではなく祖母です。 (念のため。間違える人いないか。) 「こんなことやってたんだな〜」 本人も、ほとんど記憶にありません。
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兵庫県の、とある専業農家(梅・栗を栽培)に生まれる。 外で遊ぶより、絵を描く方が好きな、おとなしい子(!?)だった。 動物が大好きで、小学生の頃は本気で 「ムツゴロウさんの所で働きたい」と思っていた。 どう考えてもローカル(田舎)向きの私だったけれど、 専業農家に生まれて、親の苦労する姿を見てきたせいか、 ずっと街に住むことにあこがれていた。 念願叶って大学は、京都の美大で、はじめての一人暮らし。 朝から晩まで、好きな絵を描ける生活。 今思うと、夢のような毎日!まさに人生の夏休みだった。 卒業後、「少しでも両親の力になれれば」 と思い、家事手伝いを始める。 23才の春、父の仕事の関係で、家族で和歌山に行った。 行き先は、梅の選果機を作っていた月向さんの家。 (選果機とは、梅の実の大きさを選別する機械。 70歳の今でも、義父は現役バリバリです!) そこで、栽培家と運命の出逢い。 「絶対、農家にはお嫁に行かない! 暮らすなら、街の便利なところがいい!」 と豪語していた私の夢(!?)は、無残にも打ち砕かれ、 実家よりも、はるかに不便で、 遠く離れた田舎の村で暮らすこととなった。 でも、そんな事はどうでも良かった。 好きになった人が、たまたま田舎に住んで 農業をしていただけ。 結婚して、想像したのと 違っていた事は、 私に課せられた仕事が、農作業ではなかったこと。 このころ、すでに栽培家は、 個人向けの梅干しの通信販売を始めていたのだ。 ふたりの子供に恵まれ、 家事と育児に追われながら、 仕事も一生懸命した。 当初、パンフレットなどは すべて、外部の業者に発注していた。 当然、満足のいくものは、出来なかった。 他人まかせにしても、いいものは生まれてこない。 それならば、出来る限りの事は、自分たちでして、 自分の言葉で伝えていこうと思うようになった。 DMや梅干しに添えるメッセージから始めて、 今では、小さなパンフレットも、手作りする様になった。 すると、お客さんとの距離が、どんどん近くなってきた。 それを楽しみにしてくれるお客さんが増えてきたし、 くじけそうになった時は、なによりの励みとなった。 結婚した頃には、「田舎」としか映らなかった山の上が、 気付けば、いつのまにか「別天地」に変わっていた。 確かに大変な事も、いっぱいあるけど パートナー(栽培家)と、同じ夢が見れるのが最高! 2000年春、下の子の幼稚園入園を機に、 私の第二の人生(!?)も、スタート。 そして8月、念願のホームページを自力でOPEN! 「作り手の体温の伝わるホームページ」 を目指して。 ・・・そして現在に至る。 |
![]() 大学時代、20歳の頃 日本画を専攻していました。 ちょっとはずかしいけど、 その頃の作品を お披露目します。 「どれどれ、 どんなのか見てやろう」 という、好奇心旺盛なあなた。 上の写真をクリック してくださいな。
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