なんでも梅学

日本の伝統色にいきづく梅

日本には、固有の伝統的な色の名前が、数多くある。
どの色も、名前をきくだけで、不思議とイメージが浮かんでくる。
それらの名前には、その色をあらわすために、
身近にある「草木」「染料」「生物」などの名が使われた。

日本の伝統色

美しさの微妙な違いを、的確にとらえ楽しむ、日本人の繊細な感覚を、
それらの名前から知ることができる。
昔から人々に愛されてきた「梅」も、さまざまな伝統色の名前に使われている。

紅梅色

紅梅色
  • 英名Rose Pink(ローズピンク)バラの花の淡紅色
  • 色味紅梅の花色に似て、かすかに紫味を含む淡い紅色。
  • 紅梅の花の色をあらわした名前。
  • 染料淡い藍の下染めに、紅花を上掛けした。

濃紅梅

平安時代「濃紅梅」は「今様色(いまよういろ)」と呼ばれた。
「今様」とは「今、流行り」と言う意味で、当時の流行色のひとつだったようだ。
「いまやう色とは紅梅のこきを云なり。たとへばこき紅にもあらず、 又こうはいにもあらぬはしたの色にて、此頃いできたる色なれば、いまやう色とはいへり。略ゆるし色とおなじきなり」
花鳥余情・四(1472)

中紅梅

文献に、単に「紅梅」とある場合は、中紅梅を指す。
色は上の色票のとおり。これは、紅梅の花の色にあたる。

淡紅梅

薄紅梅(花色が薄い紅梅)の花の色。
「みやにはじめてまゐりたるころ、さし出でさせ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほいたるうすこうばいなるは、かぎりなくめでたしと」
枕草子一八四(10世紀後)

江戸時代、高価な染物であった「紅梅」と「紫」など、
贅沢(ぜいたく)で派手な装いを禁じられていた庶民は、
さまざまな逃げ道を考え、あの手この手でお洒落を楽しんだ。

  • 安い偽物によるイミテーションで代用
    • 紅花 → 茜草を用いた代用紅
    • 紫根 → 蘇芳(すおう)を用いた似紫(にせむらさき)

    ※中には、本染の紅梅や紫をニセモノと称して公然と着ている者もいたらしい

  • 衣服の表は質素を装い、裏地に派手な色や柄の物を着る

梅鼠

梅鼠
  • 英名Rose Dust(ローズダスト)ほこりっぽい薄バラ色
  • 色味赤みがかったうすい鼠色。
  • 梅鼠の[梅]は、梅屋渋の染に見るような赤みの形容語。
  • 染料梅屋渋(梅木の煎汁に榛皮の煎汁を加えたもの)に、灰汁・明礬・石灰・鉄漿を用いれば、微妙な赤みの鼠を得ることができる。

江戸時代を彩った「四十八茶百鼠」

幕府による奢侈(しゃし)禁止令により、派手な衣服が制限されていた江戸時代。
庶民たちは、厳しく制約された暮らしの中で、自分の個性を精一杯表現しようとした。
鼠色(ねずみいろ)や茶色に、微妙な色調の変化をつけ、奥ゆかしい色合いを楽しむのが、
当時の庶民たちにとって「粋(いき)」とされた。
こうして梅鼠など「四十八茶百鼠」といわれる多くの渋味の色が、江戸時代を彩った。

※「四十八茶百鼠」・・・ 茶色には48種類、鼠色には100種もの色があるという意味。
「梅鼠」は、明治初期の『福印 福田与兵衛染見本帳』を初め、当時の見本帳によく見られる。
明治30年頃には、再び鼠色が流行した。

栗梅

栗梅
  • 英名Dark Cardinal(ダークカーディナル)暗い茜色
  • 色味栗色がかった濃い赤茶色。
  • 「栗梅」の名は「栗色の梅染」が略されたもの。
  • 染料『紺屋茶染口傳書』(寛文6・1666)では豆汁と梅皮を用いる。
    『染物早指南』(嘉永6・1853)では蘇芳・濃い茶・からし水を用いる。
  • 『毛吹草(けぶきぐさ)』(寛永15・1638)に「色こきは栗梅ぞめの紅葉哉」と
     記されていることから、江戸前期から行われていたことがわかる。
  • 『色道大鏡』(延宝7・1679)に、廓(くるわ)の遊客の小紋や羽織の色に良いと記されている。
  • 『反古染』には、元文(江戸中期1736~41)の頃、小袖の色に、
     明和(江戸中期1765~72)の頃、麻裃(あさかみしも)の色に、流行したと記される。
  • 明治30年(1897)にも流行した。

梅染

梅染
  • 英名Peach Buff(ピーチバフ)赤みの淡い黄革色
  • 色味梅屋渋(うめやしぶ・梅木の煎汁に榛皮の煎汁を加えたもの)で浅く染めた赤味の淡茶色。梅の樹の皮を煎じて使うのだが、染めあがった色はどちらかというと黄色。※「梅屋渋」は江戸時代の家庭茶染の主要な染料。
  • 花の色を例えたものではなく、実際に梅を使って染めた色。

室町時代からの染法「梅染」

  • 「梅染」が、初めて文献に登場するのは『蜷川親元日記』(寛正6・1465)。
    室町時代から行われていたことがわかる。
  • 染法は『秘事記』(宝永2・1705)に以下の記載がある。
    「梅染の法。梅の木をこまかに打わりて、水にせんず。布一端には、水三升程入、二升二合程にせんじ、早稲藁を黒焼にして、右の煎じ汁を三四返そそぎ、其灰汁にて三返染る。もし渋染にせば、 右の灰汁にて数へんそめて色よき時、其上を薄渋にて二三返そむればはげず」

加賀染物の始まりといわれる梅染

  • 梅染の色は、用いられる灰汁・明礬・石灰・鉄漿(かね)の配合や分量次第で、様々な茶色が得られる。
  • 江戸時代中頃『貞丈雜記(ていじょうざっき)』(伊勢貞丈著・有職故実研究家)には、「梅染赤梅黒梅三品あり。梅やしぶにてざっと染たるは梅染色。少数を染たるは赤梅也。度々染て黒みあるは黒梅也」とある。
    この梅染は、製産地名をつけて「山城梅染」「加賀黒梅染」と呼ばれた。
  • 加賀には古くから梅染があり、今から約500年ほど前に行われていた。
    梅の皮や渋を使い、布地を染めると黄色がかった赤色になり、これを「梅染」。
    その後回数を重ねて染めていくと赤くなり、これを「赤梅染」。
    さらに何度も繰り返すと黒色に染まり、これを「黒梅染」と呼んでいた。

梅紫

梅紫
  • 英名Amaranth Purple(アマランスパープル)紫葉ゲイトウの色
  • 色味やや鈍い調子の赤紫。にぶい赤紫。大人っぽいピンク。
    「紅梅色(こうばいいろ)」を赤紫よりにした感じ。
  • 梅紫の[梅]は、紅梅の赤紫味の形容語。
  • 染料淡い藍の下染に、紅を重ねるのではないかと推測される。
  • 「梅紫」の染色記事は、江戸時代の染色書には見当たらない。
  • このため、比較的新しい染色名であろうと思われる。
  • 「梅紫」は、明治時代に入ってから、流行した時期があったようだ。

梅幸茶

梅幸茶
  • 英名Silver Sage(シルバーセージ)銀色調のサルビヤの葉色
  • 色味グレーがかった渋めの黄緑色。名称上では茶の類となっているが、色相は萌黄系統。梅の花の色とは印象が違う色。
  • 安永・天明(1772~89)の頃活躍した歌舞伎の大立者、初代尾上梅幸が好んだ、緑がかった茶色を「梅幸茶」と呼ぶ。

京都に生まれた尾上梅幸(おのえばいこう)は、
はじめ女形として舞台に立ったが、後に江戸に下り、立役(たちやく)に転じた。
その後、絶大な成功をおさめ、座頭まで異例の出世をした。
彼の人気は、美貌よりも達者な芸にあった。
華やかさの中にも渋みを含む「梅幸茶」からも、彼の芸風がうかがえる。
当時は「浅葱色」の流行全盛だったが、
これに対して「萌黄色」を打出したのは、
世間への宣伝効果を考えてのことと思われる。
「梅幸茶」は、天保の頃まで歌舞伎通の間で流行したが、
「路考茶」のように大流行とはならなかったようだ。

女性たちの人気を集めた「役者色」

人気歌舞伎役者の「役者色」は、江戸時代・中~後期の流行色のひとつだ。
当時、江戸では歌舞伎役者の絵が売られ、客たちは競って買い求めた。
絵に描かれた舞台衣装の色や模様は、女性たちに真似られ流行した。
特に、その美貌で人気を集めた歌舞伎女形、瀬川路考の
「路考茶(ろこうちゃ)」は大流行し、なんとその後、70年間も流行し続けた。
璃寛茶(りかんちゃ)、芝翫茶(しかんちゃ)、梅幸茶(ばいこうちゃ)なども役者色。
当時の世相を反映してか「茶系」が多い。

参考文献:「日本の傳統色彩」長崎盛輝・「日本の色辞典」吉岡幸雄

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