『松と日本人』(人文書院・1993年)の著者、
有岡氏は「その木にウメ、スモモ、クスノキ有り。」
と解読している。
古代から中国は、近隣の国を評価する場合、
その国に、中国文化がどの程度浸透しているか
により、野蛮であるかどうかを判断していた。
当時の倭には「松」が生育していたのにかかわらず、
『魏志倭人伝』には、何故か「松」が記載されていない。
このことから『魏志倭人伝』は、中国における名木に
焦点をあてて記載したものと考えられる。
弥生時代後半、人々が生活する集落の周辺には、
楠(くすのき)の巨木が生え、畑や山麓には、
梅・桃・杏が植えられ、水田稲作農業を営む集落
周辺では、昭和時代初期に見られた日本の原風景
ともよべる風景が展開していたと想像される。
卑弥呼(ひみこ)も、梅の花を見たのではなかろうか。
(参考文献:「梅一・ものと人間の文化史」有岡利幸)
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