なんでも梅学

『魏志倭人伝』に記されていた梅

日本の弥生(やよい)時代の様子を、中国人が観察記録した『魏志倭人伝』には、
倭国(現在の日本)に生息する植物(樹木・草類)が記されている。
学者たちはこの「植物名」を、さまざまに解釈してきた。

魏志倭人伝

『松と日本人』(人文書院・1993年)の著者、 有岡氏は「その木にウメ、スモモ、クスノキ有り。」と解読している。

古代から中国は、近隣の国を評価する場合、その国に中国文化がどの程度浸透しているかにより、野蛮であるかどうかを判断していた。

当時の倭には「松」が生育していたのにかかわらず、『魏志倭人伝』には、何故か「松」が記載されていない。

このことから『魏志倭人伝』は、中国における名木に焦点をあてて記載したものと考えられる。

弥生時代後半、人々が生活する集落の周辺には、楠(くすのき)の巨木が生え、畑や山麓には、梅・桃・杏が植えられ、水田稲作農業を営む集落周辺では、昭和時代初期に見られた日本の原風景ともよべる風景が展開していたと想像される。

卑弥呼(ひみこ)も、梅の花を見たのではなかろうか。

(画像は『魏志倭人伝』の一部。5行目に「其木有・・・・」とある。)

『魏志倭人伝 (ぎしわじんでん)』

中国の歴史書『三国志』の中の、魏の歴史が書かれた『魏書』(通称『魏志』)の東夷伝に収められている倭人の条の一般に知られる名。古代日本の状況について、もっとも古い記述がある。
作者は西晋の陳寿。全文で1988文字。原本は散逸しており、写本のみが残る。
大和王権以前の日本(弥生時代・三世紀)の様子が書かれている。
邪馬台国(やまたいこく)とその女王卑弥呼(ひみこ)について記されており、当時の倭(日本)が、小国により構成されている様子や、生活様式、その小国の位置・官名についての記述が見られる。
小国の位置については、様々な解釈を可能とする記述がなされており、邪馬台国の位置論争の原因となっている。
また、本書により当時の倭人の風習や動植物の様子が、ある程度判明しており、弥生時代後期の日本を知る第一級史料とされている。

参考文献:「梅一・ものと人間の文化史」有岡利幸

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