
たかだ さだぐす
高田 貞楠
高田梅の発見者
885(明治18)年6月17日、高田貞楠は上南部村長の長男として生まれました。
明治35年、自分の所有する桑畑を梅畑にしようと考え、
近所の人から内中梅の実生苗60本を購入して、約30アールの畑に植えました。
その中に、ひときわ豊かに実り、大粒で美しい紅のかかる
優良種が一本あることを発見しました。
貞楠は、これを母樹として大切に育て「高田梅」の基礎をつくりました。
後に、この母樹の枝を穂木として譲り受けた小山貞一によって、
高田梅は受け継がれ「南高梅」として世に知られることになりました。
現在も、この樹齢百年近い南高の母樹は、
私たちにその元気な姿を見せてくれています。