
たけなか かつたろう
竹中 勝太郎
高田梅の名づけ親
1910(明治43)年生まれの竹中勝太郎は、南部川村(現みなべ町)出身で
和歌山県立南部高等学校の教諭でした。
園芸家の主任教師として教鞭を執るかたわら、梅樹の研究を続けていた勝太郎は、地質風土に最も適合した梅の品種改良と選定に努力を傾けました。
教育者としての広範な見識と、研究者として蓄積された知識、そして深い郷土愛が、南部川村に適した梅の優良母樹を見つける大きな力になりました。
昭和25年「梅優良母樹選定委員会」の委員長に就任した勝太郎は、
南部高校園芸家の生徒達を実習指導しながら、村内の優良な37品種を5年間にわたり粘り強く調査しました。そして最も優秀な品種を選定し、積極的に種苗名称登録を推し進め「南高」と命名。
全国の梅の産地を熟知していた勝太郎は、郷土の誇る傑出した品種の名の名づけ親ともなった人間味あふれる教育者でした。