みなべの地質と瓜谷累層
みなべの大部分は、今から6000万年前の新世代初期にできた
音無川(おとなしがわ)層群に含まれている。
陸地から削り取られた泥が、海に運ばれて堆積(たいせき)した地層。
それが、その後の激しい造山運動によって曲げられ、
寸断された状態で隆起し、今の姿になった。

南部梅林を始めとする、梅栽培の盛んな地域の地層は、この音無川層群の中の
瓜谷累層(うりだにるいそう)にあたり、黒色をした泥岩層で崩れやすいのが特徴だ。

泥岩が風化した土壌
(良質な梅の栽培地域の土壌)


また、この地層からは盆石(ぼんせき)として有名な「瓜溪石(うりだにいし)」が数多く産出している。
瓜溪石(うりだにいし)とは、瓜谷累層中にノジュールとして産する主に炭酸カルシウムからできた岩石。
ノジュール(団魂)とは、地層の中の鉱物成分が分離したり溶け出してできた魂で、まわりの堆積岩より硬い。
盆石として有名な「瓜溪石(うりだにいし)」
瓜溪石は、今から約6000万年前の新生代初め、
海底に堆積していた泥岩層である「瓜溪層」とよばれる地域から産する石だ。
地中から掘り出されたときは、石の表面に黒色の泥岩が付着していたり、
風化のために赤褐色になった土で覆われているが、
愛好家の手にかかるとたちまち見事な盆石(ぼんせき)になる。
深山幽谷を想う山水景と、変化にとむ皺(しわ)に加えて、
なめらかな石の肌が特筆される。
紀伊続風土記には「瀑布石」、紀伊名所図会には「盆石」として
紹介されるほど、古来より産出したものと思われるが、
発掘の歴史はわりあい新しく、
盆石として価値を認められたのは、
天保年間(1830年代)で、
樵夫(きこり)の手によって発見された。
江戸時代には、田辺藩が石番を置き、
みだりに採掘することを禁じたこともあり、
この禁が解かれたのは、
西南戦争(明治10年)の頃だと言われている。
みなべ町立うめ振興館に展示された瓜溪石。幅120cm高さ45cm奥行き82cmの見事な盆石だ。
このページは南部川村の許可のもと「南部川村うめ振興館常設展示図録」をもとに作成しました